当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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順照寺前景
癒し

私の一番好きな詩  9月21日

 

今日は、私の尊敬するマザーテレサ先生の詩をどうか声に出して読んでみて下さい。お彼岸のこの時期に心穏やかになることでしょう。
私たちは忙しすぎます。
ほほえみを交わすひまさえありません。
ほほえみ、ふれあいを 忘れた人がいます。
これはとても大きな貧困です。

多くの人は病んでいます。
自分がまったく愛されていない
関心をもってもらえない
いなくてもいい人間なのだと・・・

人間にとって一番ひどい病気は
誰からも必要とされていないと感じることです。

人は一切れのパンではなく
愛に、小さなほほえみに 飢えているのです。

だれからも受け入れられず
だれからも愛されず 必要とされないという悲しみ
これこそほんとうの飢えなのです。

愛を与え 愛を受けることを知らない人は
貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。

愛はまず家庭から始まるのです。
愛は家庭に住まうものです。

子どもたちは 家庭のなかに愛やほほえみをみつけることができません。
子どもたちはさびしすぎるのです。
さびしさをまぎらわすために 外へ 探し求めにゆくのです。

たいせつなことは、どれだけたくさんのことをしたのではなく
どれだけ心をこめたかです。

わたしたちのすることは
大海の たった一滴の水に 過ぎないのかもしれません。
でも その一滴の水があつまって 大海となるのです。

憎しみのあるところに愛を
罪のあるところにゆるしを
争いのあるところに一致を
誤りのあるところに真理を
疑いのあるところに信仰を
絶望のあるところに希望を
闇のあるところに光を
悲しみのあるところに喜びを
慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりは愛することを

マザーテレサ「愛の祈り」より抜粋
合掌 南无阿弥陀佛
 
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