当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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浄土真宗から生まれた言葉2  10月20日

 

浄土真宗から生まれた文化としては、「させて頂く」という言葉使いがあります。現在の日本語の表現として「読ませて頂く」とか「見せて頂く」に用います。この「させて頂きます」は浄土真宗から生まれた言葉使いです。司馬遼太郎先生の説によると「街道をゆく」という本の中に次のように書かれています。{日本語には、[させて頂きます]という不思議な語法がある。この語法は、関西から出た。近頃は東京弁にも入り込んで、標準語を混乱させている。[それでは、帰らせて頂きます][明日とりに来させて頂きます]・・・この語法は「絶対他力」を想定してしか成立しない。それによって「お陰」が成立し、「お陰」という観念があればこそ、[地下鉄で虎ノ門まで行かせて頂きました]などという、相手のお金で乗ったわけではない。自分の足とお金で地下鉄に乗ったのに[頂きました]などというのは、他力への信仰が存在するためである。(途中省略)かつて近江商人(近江門徒)が、京都、大阪、江戸へ出て商いをする場合も、得意先の玄関先でつい門徒の語法が出た。[かしこまりました。それでは、明日3時に届けさせて頂きます]というふうに、この語法は、特に昭和になってから東京に浸透したように思える。明治文学における東京での舞台の会話には、こういう語法は一例もなさそうである。}とのことです。司馬遼太郎先生ありがとうございました。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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