当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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私は物の執着がありすぎる
学び

お布施とは  11月12日

 

「布施」という言葉はサンスクリット語でダーナ、すなわち「与える」という意味ですが、佛教では、単に物を人に与えるということではありません。一般に、私たちが、物を人に与えようとするときは、「人がよろこぶから与える」「人が困っているから与える」「物が余っているから与える」というような場合です。
 しかし、佛教でいう「布施」は、必要以上に物を蓄えて、むさぼるという執着のこころを、取りのぞくための修行なのです。
 ですから、布施を行う場合には、何を与えるかということを、意識してはなりませんし、誰に与えるのかということも、さらに、私が与えたというとらわれがあってはならないという、厳しい条件がついています。
 「物」は本来、善でも悪でもありません。しかし、私たちの思いが加わるとき、それが醜いものともなり、人を喜ばせるものともなるのです。佛教では、そうした物への執着の心を戒めて、心から布施を行うことをすすめているのです。
合掌 南无阿弥陀佛
 

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