当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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罪深い私の真の姿を知る
学び

慙愧と歓喜ということ  12月17日

 

 日ごろから私たちは「南无阿弥陀佛」と、お念佛を称えさせていただいております。
では、お念佛を称えるのは、どういう意味があるのでしょうか。
 他のご宗旨では、たとえば「百万遍念佛」などといわれますように、数多く称えるほど功徳があると、回数を問題にされるところもありますが、浄土真宗では、お念佛の回数が問題なのではありません。
 お念佛を称えさせていただくことは、お念佛を聞かせていただいているということです。
私のような煩悩具足の凡夫を救うために、阿弥陀如来さまが与えてくださったご本願の名号ですから、名号を称えますと、そこには「罪はいかほど重くてもかならずたすける」と仰せられる、阿弥陀如来さまの大悲のご本願が聞こえてくるのです。そして佛さまの慈愛の中に、生かされている自分であることに、気づかせていただくわけですが、同時にまた、阿弥陀如来佛さまのみ教えに照らされますと、私の愚かな姿が見えてきます。平気でウソを言うし、人を怒鳴りつけたり、妬んでみたり、欲張りなことを考えたり、とにかく、罪深く愚かな私であることが、しみじみと知らされます。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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