当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
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合掌  南无阿弥陀佛

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阿弥陀如来さまのお姿には深い意味

がある

癒し

観経に説かれている阿弥陀如来さま  1月27日

 

 立っておられる阿弥陀如来さまは、『観無量寿経』の第七・華座観の初めに説かれている、住立空中尊をかたどったといわれています。ところでお経には、わが子のために牢獄に押し込められて苦悩する韋堤希夫人に、お釈迦さまが「苦悩を除く法を説く」といわれたとき、その言葉に応じて、突如、阿弥陀如来さまが空中に立って、夫人をお救いになったと説かれています。善導大師は、そのお姿は、人々の苦しみ悩むのを見て、じっとしておれずに立ち上がって、助けに来てくださる大悲をあらわしているといわれています。
  この阿弥陀さまの全身から放たれている四十八条の光明は、苦しみ悩むすべてのものを救おうと誓われた、阿弥陀さまの四十八願になぞらえたものです。一々の光明は、念佛する人を光のうちに摂め取って、護りつづけ、浄土へお迎えくださる救いのはたらきをあらわしています。

 つぎに手の形をみてみますと、親指と人差し指とをあわせながら、右手を挙げ、左手は下に垂らしておられます。これは一般には、施無畏・与願の印といって、苦しみに沈んでいるものに安らぎを施し、人々の願ったものを与えてくださる姿であるといわれています。

 絵像・木像のご本尊を仰ぎながら、こうした阿弥陀さまの大悲救済のおはたらきを、味わわせていただきましょう。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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