当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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阿弥陀如来さまのお慈悲の中に生かされている私たち
学び

聴聞とは何をどう聞くのか 3  10月3日

 

 「佛願の生起本末」の「本」とは、因本の意味です。
衆生が成仏の可能性を微塵も持ちあわせない事実をみそなわされた阿弥陀如来さまは、その衆生を救わなければならないという願を建てられ(四十八願)、その願の完成のために兆載永劫という驚くべき永い時間の修行をされたのでありました。
 「佛願の生起本末」の「末」とは、果末の意味です。
阿弥陀如来さまは兆載永劫の修行において願を完成されました。その願の完成によってなにができ上がったのか、それは南无阿弥陀佛の名号の成就でありました。

  阿弥陀如来さまは、罪悪生死の凡夫を救わなければならないと、兆載永劫のご苦労のすえ、衆生救済の法としての名号を成就してくださいました。これは阿弥陀如来さまのお心のありのまま(法実)なのです。
 産まれたわが子、頑是無いわが子を見たとき、育てなければならぬと思うのは、親の愛、ありのままではないですか。
だから、わたくしたちは必ず救うの阿弥陀如来さまの名号の活動に打ちまかせるより他ありません。これを託法といいます。阿弥陀如来さまの願力に打ちまかすことは、他力の法に帰したことを意味します。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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