当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
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合掌  南无阿弥陀佛

 
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真実心は阿弥陀如来さまの回向による
学び

第十八願はなぜ信心一つなのか  10月9日

 

 阿弥陀如来さまのご本願は、「至心・信楽・欲生」の三心と「乃至十念」の称名とが誓われています。 この、「至心・信楽・欲生」のことを本願の三心といいます。

 本願が本願のごとく完成したことを、お釈迦様は次のごとく教えてくださいました。
「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生まれんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に往せん……。」
(『註釈版聖典』41頁)
と。このご文を本願成就文といいます。
 本願成就文に「信心歓喜」とありますのは、本願文の「信楽」のことであります。
信楽の「信」を信心とされ、「楽」を歓喜といってあるのです。成就文に「その名号を聞きて、信心歓喜せんこと」とありますように、名号が衆生に受け取られたところは、本願の文で言えば信楽であると示されているのです。名号が至り届いた信楽の中には、至心も欲生も摂在しているのであります。
 至心とは、真実心であり、その内容は智慧と慈悲です。わたくしたちに真実心があるはずがありません。無いものがある。それは阿弥陀如来さまの回向によるのです。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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