当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
イメージ
『歎異抄』を今一度お読みください
学び

信心とよろこびの関係は  11月14日

 

「ご法話を聴聞しておりますと、よろこびましょう、信心には必ず喜びがあります、といわれますが、阿弥陀如来さまのご本願に対しては疑っておりませんのに、その喜びとやらを感じられません。わたくしはまだ信心がいただけないのでしょうか。またその喜びとは、わたくしがどのように喜んだらよいのでしょうか。」
信心とよろこびについて、多くのお同行がこのような疑問を持ちながら、なかなか口に出せず、喜びを頭で解りながら実感できないじれったさを感じていらっしゃるように思います。

  喜びがあると教えられながらも、喜びが湧いて来ない。すでに、この疑問をズバリ親鸞聖人にぶつけた人がいました。その人こそ、唯円房でした。 『歎異抄』第9条をご覧下さい。

  念佛申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまいり たきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。」
(『註釈版聖典』 836頁)

とあります。
合掌 南无阿弥陀佛
 
旧コンテンツトップ > バックナンバー2007年11-12月 > 信心とよろこびの関係は  11月14日

このページのトップへ

お問い合わせ・ご相談フォームへ