当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

旧コンテンツトップ > 住職感話バックナンバートップ >  バックナンバー2007年11-12月 > 信心とよろこびの関係は 4  11月30日
 
イメージ
ご信心を喜ばれた妙好人
学び

信心とよろこびの関係は 4  11月30日

 

 妙好人のおことば、
 わたしゃ磯辺の荒木の松よ 艶のないのが お目当てよ
と喜んでおります。自己の命の方向性が、180度転換する。堕ちるものが救われると知らされながらも喜べない自分。まさに煩悩具足の凡夫であり、非宗教的わたくしのためにこそ、阿弥陀如来さまの本願が建立され、喜ぶべきことを喜べない衆生の救済に、自己の存在意義をお懸けくださった佛こそ、阿弥陀如来さまであると、喜ばせていただくのです。
 喜べないことを喜ぶとは、逆説的(パラドクス)のように思われるでしょうが、真宗信心は逆説ではありません。また、喜べないのを喜ぶ。その喜びが喜べないと喜ぶ、といった円環論的なものでもありません。
 
 喜びは、信心についた色であり、信心のところに、往生決定うれしやの思いがあるのです。喜びが往生を決定するのではありません。往生の因は信心であることは、申すまでもないことです。
合掌 南无阿弥陀佛
 
旧コンテンツトップ > バックナンバー2007年11-12月 > 信心とよろこびの関係は 4  11月30日

このページのトップへ

お問い合わせ・ご相談フォームへ