当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
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合掌  南无阿弥陀佛

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阿弥陀如来さまの願力によって救われていくこの私
学び

真宗の信心は一つか二種なのか 2  12月18日

 

 信心の姿とはどんな姿なのでしょうか。これを教えてくださったのが、中国の善導大師でありました。
 善導大師は「散善義」という書物を著し、そのなかで『観経』の「深信」をご解釈なさって

深信といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。
一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、広劫よりこのかた、つねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二つには、決定して深く、かの阿弥陀佛の四十八願は衆生を摂受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。(『註釈版聖典』 217頁)

とあります。これを「二種深信の釈」といっています。

 さて、このなか「一つには…」を機の深信といい、「二つには…」を法の深信といいます。この機の深信と法の深信を合わせて二種深信というのです。
この二種が信心の姿なのです。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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