当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

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学び

知識〔ちしき〕― くらしの佛教語  6月1日

 

現代は情報社会と呼ばれています。マスメディアによって、多くの知識が洪水のように押し寄せてくる時代です。
知識時代、知識人、知識階級、知識をつめこむなど、
知識は考えるはたらき、理解している内容という意味の日常語となっています。
しかし、意味が違います。
仏教では、友達とか、知り合いとか、親しい人のことを知識といいます。
さらに、「善知識」を略して、こう呼んでいます。善知識とは、仏縁を結ばせてくれる人、教え導いてくれる指導者を指します。
『歎異抄』の序文にある「有縁の知識」や、『恩徳讃』の「師主知識の恩徳も」の知識が、これに当たります。
早く死んだ子が親に信仰生活を教えたという意味で、「先立つ子は善知識なり」といったりします。
競争戦争で勝つためには、多くの知識が必要ですが、よき友、優れた仲間、善き指導者という意味の知識も、人生には必要です。知識不足は淋しいですからね。

(『くらしの仏教語豆辞典』本願寺出版社より)
合掌 南无阿弥陀佛
 
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