当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
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合掌  南无阿弥陀佛

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学び

啄の機〔そったくのき〕― くらしの佛教語  6月4日

 

「すばらしいタイミングのことで、それを逃したらまたと得られないチャンス」を意味する「啐啄の機」という仏教の諺を紹介しましょう。
鶏の雛がかえるときの話です。
「啐」は雛が卵から出ようと鳴く声で、「啄」は母鳥がそれに応じて、外から殻をつつき割ることです。 雛の孵化する時期が熟し、この両者の機がぴたりとあって、雛がかえるのです。
禅宗では、これと同じように、修行者がさとりを開く機が熟したのを見て、師家がすかさず一つの教示を与えて、さとりの境地に導くことにたとえました。
つまり師家がと修行者との呼吸がぴったりとあい、師弟の人格と人格とが直接触れて、仏祖の生命が伝えられることをいいます。
また、これは「啐啄の迅機」とも「啐啄同時」ともいいます。
出典は「碧厳録」でした。

(『くらしの仏教語豆辞典』本願寺出版社より)
合掌 南无阿弥陀佛
 
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