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合掌  南无阿弥陀佛

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学び

皮肉〔ひにく〕― くらしの佛教語 6月19日

 

遠まわしの、意地の悪い避難や、あてこすり、いやみを、一般には、皮肉といっています。
よく皮肉をいう人を皮肉屋と言ったり、思い通りに行かぬ場合に「運命の皮肉」などという言葉もあります。
仏教では、身体のすべて、全人格、宗祖らの信念・理想・行為などのすべてのことを、「皮肉骨髄」といいます。

達磨大師が、四人の弟子に「お前はわしの皮を得ている」「肉を得ている」「骨を得ている」「髄を得ている」と、その悟りの深浅を定め、一番深く悟った弟子に法を伝えた話があります。
皮や肉は、骨や髄に比べ、浅い悟り、表面的な形相、枝葉的なものを指しています。そんなところから、相手の骨髄まで届かないが、表面だけをチクリと刺す非難が、皮肉と呼ばれるようになったのでしょう。
しかし、けっこう骨身にしみるのもありますがね。

(『くらしの仏教語豆辞典』本願寺出版社より)
合掌 南无阿弥陀佛
 
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