○ [「血尿がでていない」学校での教えに生かされた]
正午はもうとっくに過ぎている。
私は生理現象を覚えた。そうだ夕ベ寝床につく前に用便してから出ていない。この状態であるから歩けるどころではない。「看護婦さーん」声をかけ小便の排泄をお願いした。看護婦さんいわく、「ここへしたらイカンヨ、イカンヨ」もちろんこの場所ヘタレ流すつもりはない「チョット待って待って」とあわただしく容器を探しに行ってくれた。通常は診察室には小便器は置いている筈はない。病棟に取りに行ったらしい。やがて人混みをわけながら看護婦さんは「あったあった、これにシテ……」と私の寝ている台座の横に置いて、処置室に入ってしまった。
普通であれば看護婦さんが採ってくれるのが常識である。しかたがないから、自分のことは自分で……と、イザかかると骨折だから激痛で動けない。
右手で少しづつパジャマをずらすが、なかなかうまくいかない。
やっとなんとか採れる状態になり、尿瓶を左手に取りペニスにあてる。いつもの健康体のときと異なり、どこにあるかわからない程萎縮してうまくあてがえない。
これで万全と排泄した。何か股の方がナマ温かい、コボしていたのである。全体の2分の1位は尿瓶に採れただろうか。残りはご想像におまかせする。
やっとのことで願いが叶い、自分で自分のものを目に近づけ確認する。
ふと突然に頭に浮かんだ「高校時代の保健体育の授業で教わったことだ……。体操の折に鉄棒あるいは器械体操中に落下負傷し、また骨折等したとき、血尿が出たら致命傷となる」…・こんな先生の話を思い出した。
とった尿瓶をじっと見つめた。さらに確認する「ウワァ、血が混ざっていない」……何度も自分の目で確かめた。間違いない。
「看護婦さーん、看護婦さーん」治療処置している先ほどの看護婦さんが来てくれた。血が混ざっていないか確認してもらう。手に取りじっと見つめ確かめてくれる「混じっていないから大丈夫、良かった良かった」……看護婦さんも安心してくれ、処分してくれた。自らの心配も吹き飛び安心した。
自分の横で、足元で何人もの人達が居るが、みんな自分の容体を案じ、怪我で苦しんでいるため、見知らぬ他人の事を気遣う者もいない。
○ [修羅場の無情 佛に祈る]
次々と診察室に担ぎ込まれる。先生の手当の効なく他界してゆく。「先生まだ体は温かいのに、何とか何とか」子供の遺体にすがり号泣する両親。私がこの場に伏してからも何人もが命を絶ってゆく。家族の悲しみと無情のさま……。地獄であり、修羅場と化したこの狭い病院での体験である。被災地全体がどの様な惨事か想像もつかない。
自分自身も痛さをこらえ我慢しているが、一体どうなるのか。通常の出来事であれば、とっくに救急車により病院での処置は終わっているだろうに……。不安がつのるばかりである。しかしどうしようもない現実。
混乱する中、知愛さんが来られた。ただ一つの細い命の糸が、繋がっていてほしいとの願いもむなしく、横井寺兄さん、橋本弘子姉の訃報の連絡であった。
私はどうにもならない自分。今ここに命をいただいて現存する自分。九死の中の一生、逝くなられた兄姉の現実、宿命という人間に課せられた計り知れない事実を味わった。
私に気遣う知愛さんに、自分は大丈夫であることを告げ、寺や家族そして故人の対応を急ぐようにと帰ってもらった。
夕方が近づく、この間医師、看護婦さん達は必死の対応である。先生等の白衣は白いところが無い程に血に染まり、いかに惨状であるかを物語るものである。
血を拭く脱脂綿は無くなる。顔、手を洗う水は今に出ない。
炊き出しのムスビ、またパン、飲物が運びこまれたが行き届かずまだ大勢の者が空腹のままである。
ラジオで流れる放送が耳に入る。それは神戸全体が大火に見舞われているとのことである。全く戦場と化した状況を、暗くなる窓の空を目にしながら順照寺を気遣った。 |