当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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順照寺ライトアップ
学び

中陰とは  10月8日

 

人が亡くなってから四十九日間を「中陰」といいます。中陰は中有ともいいます。この世に生まれた瞬間を「生有」、生きている間を「本有」、死の瞬間を「死有」と呼び、次の世に生まれるまでの期間(四十九日間)を「中有」すなわち「中陰」といい、この間に死後の行き先が決まるから、七日ごとの法要を営み、追善供養をするというのが他宗の中陰に対する考え方です。しかし,浄土真宗のみ教えは、そのような考え方はしません。浄土真宗では、人は亡くなると、ただちに浄土に往生すると説いています。生きているものが亡き人に功徳をふり向け、あの世の幸福を祈る、というみ教えではありません。
したがって浄土真宗における中陰とは、近親者が亡くなった後、亡き人を偲び、人生の意義を考え、阿弥陀如来さまのみ教えに遇い、そのみ教えを聴聞してゆく期間だといえます。
世間でいう残されたものが七日ごとに法要することによって、亡き人が成仏するわけではありません。
七日ごとに法要を営むのは愛するものを失った哀しみにまけないために設けられた期間と考えてよいではないでしょうか。すなわちこの私のために中陰があるのです。
合掌 南无阿弥陀佛
 

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