当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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お釈迦さまも元は私と同じ人間
学び

無常のいのち  10月27日

 

ある日のこと、お釈迦さまは、お弟子たちに向かい、自分がまだ若い王子であった頃のことを想い出して、つぎのように話されたといいます。
 「私は、とても裕福で、楽しく暮らしていた。庭の蓮池には、青や赤や白の蓮華が咲きみだれていた。私はいつも最上のお香や衣服を用い、冬・夏・雨季を快適に過ごせるように、私のために三つの宮殿が建てられていた。なにひとつ不自由なく、過ごしていたけれども、あるとき、私につぎのような思いがおこった。
 人は、他の人が老いていくのを見て悩み、嫌い、避ける。しかし、私もまた老いてゆくのであると気づいたとき、私の青年のほこりは全く消えうせてしまった。人は、病人を見て、悩み、嫌い、避ける。しかし、私もかならず、病気になる身であることに気づいたとき、私の健康のほこりは、全く消えうせてしまった。
 人は、他人の死を見て、悩み、嫌い、避ける。しかし、私もまた、死から逃れられないことに気づいたとき、私の生存のほこりは全く消えうせてしまった。」(『中阿含経』第56巻〈大正大蔵経1巻776頁〉)というのです。 お釈迦さまも一人の人間として、悩みぬかれたのです。
合掌 南无阿弥陀佛
 

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