当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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私のこころの奥はなかなか見えて

こない

学び

私のこころを耕す  11月8日

 

あるお経(『雑阿含経』第4巻(98)〈大正大蔵経2巻27頁〉)につぎのようなお話がのっております。お釈迦さまが、托鉢を行っておられたときのことです。ひとりの男がお釈迦さまにむかって、こう言いました。
「修行者よ、私は田を耕し、種をまいて食を得ている。あなたも自分で耕し、食を得てはどうか」 すると、お釈迦さまは「私も耕し、種をまいている」と答えられました。それを聞いて男はおどろき、またお釈迦さまに尋ねました。
「しかし、私たちはだれも、あなたが田を耕したり、種をまいたりしているのを見たものがいません。あなたの鋤はどこにあるのですか。牛はどこにいるのですか。どんな種をまくのですか」
すると、お釈迦さまは、「私は、私のこころの田を耕しているのです」と答えられたといいます。
生きてゆくためには、食べ物がなければ生きていけません。道具もお金も必要です。道具やお金を得るために、私たちは田を耕し働いています。しかし、私たちにはその他にも、耕さなければならないものがあるはずです。それは「こころ」です。「こころ」を耕すことは、形がなく目に見えないので、とかく疎かにされがちですが、私たちにとって、何よりも大切なことではないでしょうか。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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