当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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人は誰も自分が一番と思いたい
学び

おごりたかぶる  11月14日

 

わたしたちは、自分が他の人よりすこしでも、高い存在でありたいと思っています。高い存在というのは、たとえば社会的地位や、いろいろな能力についてでしょう。もし社会的に立派な人間になりたい、人々のお役に立つために自分の能力を高めたいということであれば、人間や社会の向上につながることですから、おおいに奨励すべきことでしょう。
 しかし、自分を高めたいという気持ちは、すぐに、自分は他の人より、優れているのだという気持ちに変わってしまします。佛教でいう「憍慢」つまり、おごり、たかぶることです。ですから自分は「高い」のだと思い込んでいる気持ちを否定されると、私たちの心は、すぐに怒りへと変わります。
 私たちには、ともすれば、自分の知識や考えのみが正しいと思い、他の違った考えを、排除しようとするこころがあります。しかし、私が正しく知っていると思っていることは、ほとんどの場合、自己中心の心で歪められていることが多いのです。なぜかといいますと、私はよくわかっているという、おごりの心が、正しい意見、他人の考えに耳を傾けることを、妨げるからです。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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