当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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佛法に遇えたことを素直に喜びましょう

学び

遇いがたくして今遇う  11月20日

 

親鸞聖人は、『教行信証』の中で、「西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり」(『註釈版聖典』132頁)と、佛法に遇うことができたことを、喜んでおられます。
 インドから、「西域」の砂漠を越えて中国へ、さらに海を越えて佛教は日本に伝わってきました。その過程で、無数のお坊さんや、ご先祖の努力があって、私の身に届いたのです。
 自ら前後20余年の歳月をかけて、インドに求法の旅をした、中国の唐代の学問僧、義浄三蔵が、その間の見聞を記した『大唐西域求法高僧伝』という書物の中に「高僧、法を求めて長安を離る。去る人百を成すも、帰するは十も無し」と述べています。当時の中国の唐の都・長安から、佛法を求めて、西方へ出かけていった偉いお坊さんが100人いたとすると、無事に帰りつくのは、10人もなかったということです。佛法を伝えるということが、いかに困難なことであったが偲ばれます。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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