当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

 
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佛法を聞いて初めてわが身を知る

ことができる

学び

佛法を聞き続けることが大切  11月24日

 

私たちは、なかなか自分では、自分の本当の姿に気がつきません。人から指摘されるまで、自分の姿を知ることができないことが多いようです。そして、他人の欠点ばかりが目につき、人の悪口ばかり言って、お互いに傷つけあっているのではないでしょうか。このような、自分を振り返ることのない、自己中心のこころを「煩悩」といい、これが私の迷いや、悩みの原因となっているのです。
 しかし、自分の醜い姿は、とても見えるものではありません。それどころか、迷っていることさえも気づかないのです。自分の欠点だらけの姿を見るということは、不愉快なことですし、たとえ親しい人から指摘されたとしても、受け入れにくいものです。佛法も同じことで、なかなか耳に入ってきません。
 お寺の法要や法座などで、せっかく佛法を聞き、ご縁に遭わせていただいているのにもかかわらず、素直に佛さまのみ教えを受け入れられないのは、やはりひとりよがりの心が邪魔をしているからです。佛法を、他人ごととしてしか受け止めようとしないのは、その心があるからです。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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