当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
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合掌  南无阿弥陀佛

 
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阿弥陀如来さまの慈悲は限りがない
学び

阿弥陀如来さまのお心  11月26日

 

『佛説観無量寿経』の中で、お釈迦さまは、「佛心とは大慈悲これなり。無縁の慈をもってもろもろの衆生を摂す」(『註釈版聖典102頁』)といわれています。
 阿弥陀如来さまのお心を一口でいえば、「大慈悲」です。慈悲の「慈」とは、人にまことの幸せを与えようとする心、「悲」とは、人々の悲しみや悩みを取り除こうとする心であるといわれます。
 そのためには、まず自分自身に対してと同じように、心から、他の人の気持ちが、わからなければなりません。ですから、慈悲は「人の悲しみをわが悲しみとし、人の喜びを我が喜びとする」心だといわれるのです。
 このような慈悲のこころを、人間はなかなか持つことができません。私たちにはいつも、自分に都合がいいようにという、自己中心の心が、働いているからです。ただ、母親のわが子に対する気持ちは特別です。自分のことは忘れて、わが子の幸せを思います。しかし、その心も、残念ながら、他人の子どもにまでは及びません。このような、限りのある人間の慈悲に対して、阿弥陀如来さまの慈悲は、あらゆる人びとに対し、差別なくかけられる、限りのない慈しみの心です。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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