当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
ご感想などございましたら、お気軽にお聞かせ頂ければ幸いです。
合掌  南无阿弥陀佛

旧コンテンツトップ > 住職感話バックナンバートップ >  住職感話バックナンバー2007年8-10月 > 第十八願はなぜ信心一つなのか 2  10月12日
 
イメージ
真実心は、真宗の信心のみにある徳です
学び

第十八願はなぜ信心一つなのか 2  10月12日

 

 阿弥陀如来さまのご本願、「至心・信楽・欲生」のうち、至心について親鸞聖人は、
「この至心はすなはちこれ至徳の尊号をその体とせるなり。」(『註釈版聖典』231頁)
といわれて、衆生の至心の体は名号にあると示されています。この真実心は、真宗の信心のみにある徳であり、他の宗教の信心にない特色です。

   欲生とは、「決定要期」といわれています。要期の「要」は要望、「期」は期待の意味です。要望も期待も未来のことであり、わたくしたちの浄土往生は、まさしく未来のことですが、そのことが信心のところに決定している、ということなのです。
 わたくしたちの世の中では、未来のことについて確約することは厳密に不可能です。この世の中での約束の中で、ただ一つ確実な約束、それは信心の行者は命終われば必ず即成仏ということです。
 なぜなら、これは阿弥陀如来さまのお約束であるからです。

 また、この欲生は信楽の義別といわれて、本願の信楽についている色です。この色は、真宗の信心のみについている特有の色であり、他の宗教の信に無い色です。
合掌 南无阿弥陀佛
 
旧コンテンツトップ > 住職感話バックナンバー2007年8-10月 > 第十八願はなぜ信心一つなのか 2  10月12日

このページのトップへ

お問い合わせ・ご相談フォームへ