当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
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合掌  南无阿弥陀佛

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第十八願は「信心一つ」
学び

第十八願はなぜ信心一つなのか 4  10月18日

 

 さらにお話しておきたいことは、その本願の三心を「一心」と教えてくださったのは、天親菩薩ということです。

 親鸞聖人は、天親菩薩は、第十八願の法義が三心即一であることを、わたくしたちに知らしてくださるために、三心を合して一心と示してくださったのだ、と言っておられます。
 これこそ天親菩薩のご苦労であり、ご功績(合三為一は論主の釈功)なのです。ただし、三心即一の一は数の一であり、三に対しての一ですが、天親菩薩の一心の一は無二という意味です。だがその一心は信楽を指すのであるから、三を合して一心とされたのです。

 このようにして、本願の三心は、成就文により信楽一つに摂められていることを知らされ、その信楽一つを、天親菩薩によって一心と名づけられたのであります。そこでやはり、第十八願は「信心一つ」といわねばなりません。

 親鸞聖人は、
「涅槃の真因はただ信心をもつてす。」(『註釈版聖典』229頁)
と示して下さいました。これはまさに阿弥陀如来さまの本願の願意の真髄を、最も明確に把えてわたくしたちに教えてくださったものです。
愚鈍の衆生のわたくしたちの「信心一つ」の本願こそ、如来さまの兆載永劫のご苦労のたまものなのです。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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