当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
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合掌  南无阿弥陀佛

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「たのむ」は信心、「ねがう」は願生
学び

「たのむ」と「ねがう」の言葉の理解 3  10月27日

 

 お聖教の上に出る「たのむ」とは、信心の信の文字を日本で音読みにしたもので、「ねがう」とは願出の願を、同じく音読みにしたものです。
 信も願もともに、人間の心の中に起こるものです。名号が私の心に至り届いたことを「信」というのですが、その「信」についている色が「願」なのです。

 つまり、名号が私の所に至り届いたら、私の心は「たのむ」になり、その「たのむ」に着いている色が「ねがう」という色なのです。
 この「たのむ」と「ねがう」を本文の上でいいますと、「たのむ」は信楽の信、「願う」は欲生のことです。本願成就文でいえば、「たのむ」は信心、「ねがう」は願生のことです。
 これらの意味は同じです。
 だから親鸞聖人は「欲とはすなはちこれ願なり」(『註釈版聖典』230頁)といっておられます。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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