当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
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合掌  南无阿弥陀佛

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真宗の信心は一つか二種なのか 3  12月26日

 

 機の深信の機とは、性得の機を指すのでして、罪悪生死の凡夫と知らされることなのです。罪悪生死の凡夫の私の力では、「出離の縁」があるはずも無く、自己の力で成仏不可能(自力無効)と知らされれば、わたしの方には、何の用もなくなる(捨機)のです。

 法の深信の法とは、阿弥陀如来さまの願力を指すのでして、阿弥陀如来さまの願力よく「衆生を摂受」して成仏せしめてくださる(法体の独用)のです。自己の力で絶対に成仏不可能な衆生を必ず救うとの如来さまの願力の活動を知らされれば、その願力に自己の全体をゆだねる(託法)よりほかありません。
合掌 南无阿弥陀佛
 
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