当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
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合掌  南无阿弥陀佛

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学び

世智辛い〔せちがらい〕―くらしの佛教語  1月14日

 

「近年は人の心世智辛くなりてより」『吉原雑話』
世智辛いは、計算高い、小賢しい、抜け目がないなどの意味です。
「世智辛い世の中だ」とは、人々が打算的になって、世渡りがしにくくなることをいいます。
 
この世智が佛教語です。世智は「世間智」ともいい、俗世間の凡夫の智慧のことです。そこから、世才、俗才、世渡りの才能の意味となってきました。
 
世渡りの才能とは、要するに、抜け目がなくて、勘定高いことにほかなりませんから、現在使われているような意味となったのでしょう。
世智賢い、世智にたけているという語句も同じ意味です。
 
佛教では八難が説かれています。
仏を見ることができず、法を聞くことができない境界が八種あるというのです。その一つに「世智弁聡」があります。これは世俗にたけて、仏の正法を信じられない人のことです。
 
あまり世渡りのことばかりにうつつを抜かしていると、大切なことを見のがしてしまいますよ。
 
(『くらしの仏教語豆辞典』本願寺出版社より)
合掌 南无阿弥陀佛
 
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