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合掌  南无阿弥陀佛

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学び

退屈〔たいくつ〕―くらしの佛教語  1月25日

 

退屈といえば、何もすることがなく、ひまをもてあますことを意味する言葉として、日常よく使われています。あくびの一つもでそうな情景です。退屈しのぎという言葉もあります。
 
しかし、退屈はもともと仏教語で、仏教修行の苦しさや難しさに屈して、仏道を求める力が退き、精進努力する心を失うことを意味しました。
菩薩の修行中にも、退屈に遭遇する場合(三退屈)があります。
(1) 悟りを求めるのは広大深遠であると聞いて起こす退屈
(2) 布施の万行はきわめて修し難いと聞いて起こす退屈
(3) 悟りの妙果は証し難いと聞いて起こす退屈
で、これらを太治するのを三練磨といいます。
 
そこから、くたびれて気力が衰えること、畏縮すること、困り果てることなどの意味になり、さらに転じて、倦怠の意味になり、ひまをもてあますことにありました。
 
説明がややこしくて、退屈しましたか。
 
(『くらしの仏教語豆辞典』本願寺出版社より)
合掌 南无阿弥陀佛
 
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