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合掌  南无阿弥陀佛

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学び

人間〔にんげん〕― くらしの佛教語 7月10日

 

普通、人間とは、ひととか人類、人物とか人柄、人の住むところとか世の中を意味しています。

仏教では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という六つの世界に生死を繰り返すことを六道輪廻といい、その一つの世界が人間なのです。
詩僧、月性の詩の「人間到る処青山あり」の人間は、世の中のことです。世の中はどこにでも墓場がある、という意味です。

織田信長が今川義元との桶狭間の合戦に先立って、「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり」と、謡いながら舞う名場面があります。

また、本能寺の変で死を覚悟したとき、寺に火をつけて『敦盛』を舞い終わると自害して果てます。

この幸若舞『敦盛』の名文句のもとは『倶舎論』の「人間五十年、下天一昼夜」の文です。

下天とは、仏教宇宙観でいうと、須弥山中腹の四方にある四王天のことで、ここの一昼夜は人間世界の五十年に相当するというのです。

決して、人生わずか五十年といっているのではありません。みなさん、遠慮しないで、長生きをしてください。

(『くらしの仏教語豆辞典』本願寺出版社より)
合掌 南无阿弥陀佛
 
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