当ページでは、良く言われる閑話(むだばなし、雑談)ではなく、
私自身がお寺の住職の一人として、日頃感じたこと、見たもの等…について
感話(感じたままをお話し)させて頂こうと思っております。
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合掌  南无阿弥陀佛

 
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阿弥陀如来さまにすべてをお任せする
学び

信心正因とは  12月10日

 

 親鸞聖人のみ教えの一番大切な点は、どのような罪深いものも、阿弥陀如来さまのご本願を信ずれば、即座にお救いにあずかるという信心正因のいわれを、明らかにしてくださったことです。
 ご本願を信ずるということは、阿弥陀如来さまが「わたしをたのみ、わたしの名を称えなさい、貴方がこの世に生きているかぎりは護りつづけ、いのちが終われば浄土に迎えとって、清らかな悟りの身にしてあげましょう」と誓われたみ言葉を、疑いなく聞き入れて、阿弥陀如来さまのおはからいにお任せすることをいうのです。そのことを親鸞聖人は「信心は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり」(『一念多念証文』・『注釈版聖典』678頁)といわれています。
 また親鸞聖人は信心を、日本語で「たのむ」といいあらわしておられます。信心には、信頼とか信憑という熟語がありますように、うそ・いつわりのない言葉に対して「よりかかり」「よりたのみ」「まかせる」という意味があるからです。「たのむ」というのは、「たより」にし、「まかせる」ということです。今日では「たのむ」を「請い願う」という意味で使うことがありますが、親鸞聖人や蓮如上人の頃は、「お願いする」という意味で「たのむ」という言葉を使われたことはありません。必ず「力としてよりかかり、まかせる」という意味で使われていました。
合掌 南无阿弥陀佛
 

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